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「皆神山」のミステリー(後編) 徳間書店「アトランティア」2009年5月[発動編]掲載 |
後編
前回(本誌創刊号掲載の前編)は、「世界の縮図である日本」の中心地として、長野市松代地区が注目され、中でも皆神山には神秘的なミステリーが存在することを紹介した。そして、不可解な発光現象を伴った松代群発地震の謎や皆神山ピラミッド説を振り返った。今回(後編)は、日本神話、皇室、松代大本営との関連性を含め、皆神山の特異性を、現地レポートを交えながら検証してみたい。
(頂上部分が陥没したとされる皆神山=ピラミッド)
○神話の舞台、皆神山の歴史
皆神山の標高は659m、松代の海抜はおよそ300mである。標高差にして約350メートルの登山は、季節が良ければ、適度なハイキング・コースとなるだろう。だが、筆者が去年皆神山を訪れたのは真夏であり、千曲川周辺の盆地は横浜よりも蒸し暑かった。日中の気温は35度を超えたため、当初から予定していたことだが、徒歩での登山ではなく、車で登ることにした。
山頂にある皆神神社までの道は、評判通り狭く、車一台がやっと通れるほどの道幅だった。九十九折が続く急勾配の坂道では、時折道幅が広がり、かろうじて対向車とすれ違うことが可能な場所もあったが、運悪く対向車に出遭えば、どちらかがかなりの距離をバックして道を譲らねばならない。小回りの効く小型車でないと、切り返さずにヘアピンカーブを曲がることだけでも難しく、正直、安全面からも車での登山はお勧めできない。筆者は、対向車が現れないことを願い、平日昼間の時間帯を選んで、山頂へと臨んだ。そして、幸い対向車に出遭うことなく、登りきることができた。
(皆神神社の随身門)
鳥居をくぐり抜けて山頂で筆者を迎えたのは、様々な神々を祀った皆神神社であった。皆神神社は、熊野出速雄神社(くまのいずはやおじんじゃ)を御本社としており、境内には侍従大神、富士浅間神社などがある。これらの神社は、かつては神仏混交で、大日寺が別当寺であった。だが、明治の神仏分離で大日寺を廃して熊野出速雄神社となり、和合院は侍従大神となった。
遡れば、養老二年(718年)に諏訪大神の御子「出速雄命」が祀られている。やがて修験道が入り、熊野権現を合祀して熊野三社権現となった。これらの祭祀を取り仕切っていたのが修験和合院で、信濃山伏の中心であった。
その和合院の始祖は、佐久の内山氏の子孫で、鞍馬山で修行し、侍従天狗と名乗った。そして、弘治二年(1556年)に入寂し、侍従大神として祀られたという(『山岳信仰の山2000』より一部編集して引用)。
(侍従大神、旧和合院)
(熊野出速雄神社=くまのいずはやおじんじゃ、旧大日寺。比較的新しいものだが、左側に「天地カゴメ之宮」の祠がある。熊野出速雄神社の紋章として古く言い伝えられているのは菊の紋章であり、そのルーツに想像を掻き立てられる)
しかし、皆神山の歴史ははるかに古いと考える人々も居る。皆神山は世界最大にして最古のピラミッドであると主張した山田久延彦氏は、地元の古老から興味深い話を聞いている。
その昔、皆神山は「手力男命(たじからおのみこと)」が戸隠山から巨岩を運んで作った山だというのだ。手力男命は、天の岩戸をこじ開けて天照大神を外に出した『古事記』に登場する怪力の神であり、戸隠神社で祀られている。
また、長野県の民話には、信州の山々を作ったのは、「ダイダラボッチ」という巨人であるという伝説がある。戸隠山の隣の飯綱山にはダイダラボッチの足跡だと言われる大座法師池があって、観光地の一つに数えられている。山田氏らは伝承をつなげて、ダイダラボッチは千力男命のたとえだろうと考える(『サンデー毎日』1984年7月1日号より一部編集・補足して引用)。そして、実際に、皆神山を構成する種類の安山岩を探すと、近隣地区では戸隠で同種のものが発見されているのだ。
『聖書』で描かれたノアの大洪水のような出来事が史実として研究されてきたように、『古事記』に登場する神々の神話にも史実が含まれると捉えるアプローチは決して突飛なことではない。日本神話において、天照大神(あまてらすおおみかみ)は高天原(たかまがはら)を支配した日の神である。弟スサノオ(ノミコト)は、天照大神がなだめようとしたにもかかわらず、高天原に来て乱暴を働いたため、天照大神は天の岩戸に隠れてしまった。日の神である天照大神が隠れてしまうと、太陽が出なくなった。神々は困って策を練り、何とか天照大神を天の岩戸から出させることに成功し、スサノオを下界に追放した。そして、天照大神を岩戸から引っぱり出したのが手力男命である。
「皆神」とは、神々の集合を示すとされており、皆神山を中心舞台として、日本神話が形成されたのかもしれないと想像は膨らむ。
というのも、皆神山にはいくつもの謎のスポットが存在するからだ。
例えば、山の中腹には(天の)岩戸神社が存在する。写真のように、洞窟というよりは、中心部が石棺となった塚のようで、大小の石が積み重ねられてできている。興味深いことに、タバコに火を灯すと、内部の奥の壁面を形成する組石の隙間に煙が吸い込まれていくことが発見されている。重力異常が検出されたことからも、その組石の奥に巨大な地下空間(ピラミッド内部)へと通じるトンネルの入口が隠されているのではないかと噂されている。因みに、この岩戸神社一帯でも定常波振動探査が行われたが、やはり地下に異常が検出されているのだ。岩戸神社という名前だけでも特別な空間であるが、実際に入ってみると、単なる暗闇の空間であることを超えた異様な雰囲気が筆者にも感じられた。
また、電気抵抗探査を含めた地質調査から水源、水脈、地下水が存在しないことが確認されたものの、不思議なことに、皆神山の北側の麓からは信州の名水の一つとして知られる「大日堂の清水」が湧き出ている。大正三年頃、大日堂の神官、宮尾儀角は「皆神山こそ、『古事記』にある高天原である」と政府にまで説いて回っていた。皆神山には、古人大兄命(ふるひとのおおえのみこと)又は出速雄命の墓とされる小丸山古墳があるが、天照皇大神の御陵とも称され、当時は研究者や参拝者で賑わった。
(信州の名水の一つとして知られる「大日堂の清水」)
さらに、皆神山の山頂には、底なし沼とも言われる小さな池が二つあり、そこが市指定天然記念物クロサンショウウオの産卵池となっている。通常、谷間を流れる奇麗な沢などに生息するものと思われるが、なぜか山頂部の淀んだ池に希少な生物が存在している。「大日堂の清水」同様に、水質を清める不思議なパワーが皆神山から発せられている故の例外ではないかとの憶測もある。
(クロサンショウウオの産卵池)
○皇居・大本営は皆神山に移転されるはずだった!
松代地区を特別な場所とするのに、大本営跡が存在する事実も挙げられる。太平洋戦争の末期、大日本帝国は国家の中枢機能を移転させるために、山中に地下坑道を掘った。当時のお金で約2億円の巨費を投じて、9ヶ月間で掘られた地下坑道は10キロあまりという大規模なもので、象山、舞鶴山、皆神山の三ヶ所に及んでいる。全体の75%が完成していた地下壕は、日本人だけでなく、多くの朝鮮人を強制労働させて作られた。そのため、象山地下壕の入口横には朝鮮人労働者の慰霊碑があり、坑道の最奥部にはハングル語による反戦・平和のメッセージも見られる。現在、象山地下壕のみ公開されており、中に入ることができる。
(象山地下壕入口)
(象山地下壕内)
では、なぜ松代地区が大本営の移転先に選ばれたのだろうか? 一般的には、次のような理由が考えられている。
- 周囲を山々に囲まれた松代地区は、本州の陸地の最深部に存在しながらも、十分な広さの平野があり、近くに飛行場がある
- 安全な地下壕を建設するには、平野ではなく、山の下を掘ることが必要で、それに適した強固な地盤があった
- 長野県は労働力に恵まれ、首都圏と異なり、秘密が守られやすい場所であった
しかし、このような理由だけでは無さそうである。当初、皇居と大本営は皆神山の地下に移転される予定であった。だが、皆神山の地盤が脆く、舞鶴山地下壕に皇居と大本営を移転する計画に変更を余儀なくされ、皆神山の地下壕は備蓄庫になり、皇居と大本営は舞鶴山地下壕に変更された。皆神山の地下壕(地下空洞)は、埋め戻された跡が見られるものの、残されていると思われる。だが、象山地下壕とは異なり、現在、内部に入ることはできない。
戸隠山から岩を運んで作られたという地元の伝承を考えると、皆神山の地盤が周囲の山々とは例外的に異なり、脆弱であることに納得がいく(それが人造ピラミッド説の傍証の一つとされる)。その一方で、当時の大日本帝国は、それでも「皆神山を大本営にしたかった」ために行動を起こしたとも読み取れるかもしれない。
既に触れたように、皆神山は日本神話を形成した中心舞台で、世界の中心地と考えられてきた。日本神話は、もちろん、皇室の歴史でもある。実のところ、熊野出速雄神社の紋章として古く言い伝えられているのは菊の紋章である。この松代の地と皇室との間に、何か歴史的に深い繋がりがあるのではなかろうか? 今でもそれが隠されてきてはいまいか? 皆神山に来ると、そんなことすら想像させられる。さらに、そのような想像を膨らませる背景として、象山を除いて地下壕に立ち入ることができない現実と、文化財ゆえに皆神山の調査が進められない壁があることだ。
一般的には、日本神話と関わりの深い神社として、出雲大社、伊勢神宮、熱田神宮などが有名であり、観光地となっている。それに対して、皆神神社の存在を知る人々はごく限られている。紙幅の都合で紹介することができないが、他にも松代地区を中心とした長野県内にはいくつものミステリアスなスポットが散在している。
極秘裏に進められた皆神山への大本営と皇居移転計画。これは厳然たる事実として存在する。もし表に見せられる世界と見せられない世界が存在するのだとしたら、皆神山を中心とした松代地区は、まさに裏の世界を垣間見せるミステリー・スポットに違いない。
(皆神神社の参拝者駐車場には皆神山ピラミッド説を紹介する看板がある)
※先述したように、皆神山への登山に自動車はお勧めできない。第一の理由は安全面にあり、狭い坂道での運転を誤ると転落などの大事故に繋がる可能性がある。第二の理由は皆神山の麓の住人や山頂に存在するゴルフ場利用者の迷惑になりかねないためである。第三の理由は、皆神山には興味深いスポットが点在しているものの、車を利用してしまえば、途中のスポットには気付かないか、気付いたとしても安全上、途中停車して見ることができないためである。また、大日堂の脇からの登山道は、徒歩でしか登ることができない。
「大日堂の清水」を汲みに来る地元の人々は車でやってくるが、途中までの道は、小型車一台がかろうじて通れる程度の道幅で、すれ違うことが不可能である。事情を知らずに向かってしまうと、バックもできず、田畑に車を転落させる危険がある。皆神山へのアクセスには細心の注意を払って頂きたい。車の方は、松代駅周辺の無料駐車場を利用し、駅で貸し自転車(無料)を利用するもの良いだろう。
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