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「皆神山」のミステリー(前編) 徳間書店「アトランティア」2009年1月[浮上編]掲載 |
前編
2008年7月、筆者は仕事と休暇を兼ねて、横浜から長野県までドライブ旅行に出掛けた。社会人としての大半の時間をアメリカで過ごしてきた筆者には、訪れてみたいと思っていた場所はありながらも、なかなか日本国内を旅する機会に恵まれなかった。だが、ようやくそれがかない、長野県内ではいくつかの場所を訪れたのだが、本稿では長野市の松代地区におけるミステリー・スポットをレポートしたい。
○皆神山は世界の中心地?
筆者が小学校の社会科で世界地図と日本地図を見比べていた時、素朴な疑問を感じたことがある。「なぜ日本は世界中の大陸を寄せ集めた形になっているのだろうか?」と。当時、親にその話をしても、相手にしてもらえなかった。もちろん、親としても、偶然似ているというだけで、当然説明できることではなかったのだが。
それ以来、小学生の頃に感じたその疑問のことは、長く忘れてしまっていた。しかし、大学生になって、様々な本を読み漁るようになると、「日本列島は世界の縮図になっている」と考える人々は決して少なくなかったことを知ることになった。
具体的に言えば、本州はユーラシア大陸、四国はオーストラリア、九州はアフリカ、北海道はアメリカというように、単なる偶然か、それともそのように定められているのか、各所の地形だけでなく、風土、歴史、地下資源においても、類似点が見出される。
例えば、四国はオーストラリア同様に水不足に悩まされ、古くから溜め池が設けられており、町も東部沿岸地域が栄えている。九州はアフリカのように暖かい土地で、やはり北部が栄えている。南アフリカに相当する鹿児島では、世界屈指の金山「菱刈鉱山」が存在する。形状はやや異なるが、北米大陸に相当する北海道では、石炭などの地下資源に恵まれ、人口密度が低い。白人がアメリカ大陸に入植して、ネイティブ・アメリカンたちを苦しめたごとく、北海道でも土着のアイヌ民族が辛苦を味わってきた。
例を挙げればきりが無いのでやめておくが、世界の中心地となるべき<日本の中心地>は、一体どこになるのだろうか? それは長野県に相当すると思われた。正確には、長野県内のどこが中心地になるのか定かではないが、謎多き土地として浮かび上がってきたのが松代地区であり、皆神山であった。
荒砥城跡(千曲市内)からの眺望。千曲川の周囲は山々で挟まれ、下流域(写真中央部)が長野市。
長野県は山に囲まれ、神社仏閣が多く、信州は神州とも置き換えられる。のちに触れるが、中でも松代地区は、太平洋戦争末期に大本営移転が極秘裏に進められた土地であり、皇居と大本営はその中でも皆神山の地下に移転されることになっていた。
様々な宗教家たちも松代地区にある皆神山に注目していた。例えば、大本教の出口王仁三郎は昭和の初めに皆神山を訪れており、のちに、世界の中心地である聖山「皆神山」を詩に詠んだ石碑が、山頂部にある皆神神社の境内に作られた。皆神山は世界的にも知られており、1980年代当時、皆神神社の御本社「熊野出速雄神社」の宮司は、ドイツ、フランス、スイスなどの神道や仏教関係の信者がわざわざ皆神山にやってくると話していた。
また、皆神山は古代人が建造したピラミッド跡ではないかと一部の人々の間では話題とされてきた。
そのように、知る人ぞ知る特別な土地であるからこそ、長野県を訪れたならば、一度は訪ねておきたい場所として筆者は考えていた。
(皆神神社)
(地質学上 世界の中心山脈の 十字形せる 珍の神山 天霊の 聖地に些しも 達はざる 尊き神山 皆神の山 ―――出口王仁三郎)
(松代町=象山地下壕近くの竹山稲荷社からの眺望)
(松代町)
○松代群発地震の謎
松代と言えば、武田信玄が山本勘助に命じて築城させた松代城(海津城)のある、美しい城下町である。上杉謙信を相手に「川中島の戦い」が行われた古戦場跡地にも近い。また、世界的にも稀有な群発地震が発生した「地震の巣」と連想する読者も居るかもしれない。
松代群発地震は、1965年8月3日から、約5年という長期間に及んで6万回を超える有感地震をもたらした。震度0の無感地震に始まり、徐々に有感地震に発展すると、10月に震度3、11月に震度4の揺れが観測され、最大の揺れは翌年の4月5日に発生した震度5(M5.4)の地震であった。群発地震全体のエネルギー積算値はマグニチュード6.4で、観測された有感地震の内訳は、震度5が9回、震度4が48回、震度3が413回、震度2が4596回、震度1が5万6253回であった。死者は出るに至らなかったが、負傷者15人、家屋全壊10戸、半壊4戸、地滑り64件が出た。この珍しい松代群発地震を切っ掛けに、日本の地震研究は本格的に進められることになった。
震源地は、次第に南西・北東方面に広がりを見せたものの、皆神山を中心としていた。震源の深さは異常に浅く、0〜7キロ程度で、その付近に松代地震断層が発見された。そして、山頂部が窪んだ皆神山は、一般的には、35万年前に火山が噴火することなく形成された溶岩ドーム(溶岩円頂丘)と言われている。ところが、この珍しい群発地震そのものが単なる自然現象だったのか、本当に皆神山が地震を起こしうる火山性の土地であったのか、現在でも謎は解明されていない。
○謎の地震光と皆神山の組成
群発地震の発生時、松代町で暮らしていた故栗林亨氏は、地震に伴う発光現象を目撃した。そして、月が山影から頭を出す直前の微光を写真撮影する訓練を経て、世界で初めて地震光の撮影に成功した。
栗林氏は地震光を目撃して次のように語っている。
「夜、家の前の土手にカメラを持って出て、皆神山になにげなくカメラを向けた途端、地上がものすごく明るくなった。それはまるで上空に照明弾が上がったかのようだった。地上の石ころも、土手の向こうに走る道路もすべてが照らし出されて、くっきりと浮かび上がっていた。
最初は恐怖で体が縮み上がった。目の前の皆神山が爆発するのじゃないかと思うくらい明るくなったからだ」
地震光は阪神淡路大震災の際にも目撃されており、必ずしも珍しい現象ではない。だが、ほぼ地震が治まった現在でも、皆神山の周りでは時々発光現象や発光物体が目撃されているという。そのため、ただの一過性の「地震光」ではなく、皆神山は何か不思議なエネルギーを発し続けているのではないかと考える人々も居る。
因みに、岩石が圧力で潰されると、周囲が赤く照らし出される、カメラのフラッシュがたかれたように発光する、光の線が天に登る、UFOのような光点が現れる、といった実験結果も存在することから、断層上でUFOや発光現象の目撃報告が多いことは、理に適った自然現象とする説もある。断層はレイラインの形成にも関連しているとも言われるが、ヨーロッパでは地震が少ない例が物語るように、発光現象の頻度がレイラインや断層毎に大きく異なる点など、すべて科学的に解明されたとは言い難い。
(1966年2月12日04時17分、故栗林亨氏が自宅から妻女山付近を撮影。地震光が見られる。―――松代地震センター所蔵)
(1966年9月26日03時25分、故栗林亨氏が自宅から奇妙山一帯を撮影。地震光が見られる。―――松代地震センター所蔵)
○皆神山は世界最大にして最古のピラミッド?
(皆神山)
1984年、皆神山は世界最大にして最古のピラミッドであるとして『サンデー毎日』誌で取り上げられ、一躍脚光を浴びることとなった。いきなり予備知識のない方に、皆神山が「ピラミッド」であると言っても、あのいびつな形状を目にすれば、あまりにも飛躍しすぎていて、面食らわれてしまうかもしれない。だが、今から四半世紀も前にそれを大手週刊誌が大々的に取り上げていたことは、注目すべき事実である。
もちろん、皆神山のピラミッドはエジプトのピラミッドのように整然とした外観ではなく、イギリスのシルベリーヒルや国内にも存在する古墳(円墳)のような人工構造物で、建造目的が完全には解明されていない遺跡の部類に入る。しかし、皆神山は、国内外に存在する並みの遺跡ではなく、世界の七不思議の一つに含めてもおかしくないミステリーを抱えていると言っても過言ではない。
当時、皆神山ピラミッド説を主張した中心人物の山田久延彦氏は、現地調査を敢行した上で、『日本にピラミッドが実在していた!!―――皆神山が語る驚異の超古代文明』(1985年トクマブックス刊)を記し、(公には認められていないが)松代群発地震のメカニズム解明に貢献した。なぜ皆神山ピラミッド説を唱えた人物が、専門外である地震のメカニズム解明に迫ることができたのかと言えば、皆神山の特異な地質構造を調査せずしてピラミッドと自然の山とを区別することは不可能だったからだ。そして、山田氏率いるサンデー毎日取材班他、多くの研究家や地元住民らの努力と協力により、定説では説明できない矛盾点が数多く明らかとなったのだ。
皆神山は周囲の山々のように尾根らしい稜線もみとめられず、まるで盛り土されたかのように孤立して存在している。素人が遠くから眺めた程度ではその特異性になかなか気付かないものだが、皆神山の地質を調べてみると、周囲の山々と異なり、ごく一部の斜面を除いて、岩石と土砂が入り混じった奇妙な組成となっていることが判る。それは、現代の我々が使用しているコンクリートと似たもので、皆神山の外部から持ち込まれていない限り、自然生成という説明には無理がある代物だ。
皆神山に人の手が加わった可能性については、科学的な調査からも導き出される。過去に行われた通産省の地質調査では、皆神山の中心部では重力が小さいという「重力異常」が検出されており、その結果に基づいて算出すると、幅3km、奥行1.6km、高さ400mもの広大な地下空洞が存在するという。
また、地下構造把握のために行われた定常波振動探査、電気抵抗探査、さらには井戸を掘った際に判明した地下のデータから、皆神山には断層が存在し、その発生に伴い、沈下・陥没してきたことが見えてきた。そして、皆神山の全体的な地質構造がほぼ明らかとなったのだ(下図参照)。
山田氏によると、皆神山ピラミッドは、建設当時は約350メートルの高さの正確な円錐台の形状をしていた。現在のように山頂部が窪んだ理由は、人工的に河床礫を含む表層土を積み上げたことで、地盤がその重量により沈下・陥没し、形状が少しずつ崩れたためである。沈下・陥没の様子は、山体のほぼ中央を北西から南東に走る断層線の北側の陥没が激しくなっていることから確認可能である。また、地下内部に存在すると考えられている広大な空洞部もそれを促がしたと思われる。
そして、松代地区を含めた千曲川周辺はかつて湖(又は海)の底にあり、皆神山の地下には不透水性の湖底堆積層が存在する事実も大きい(ダムとして堰き止めたと思われる跡も見つかっている)。というのも、そのさらに下部には、透水性の含水地層があり、皆神山の直下が陥没すると、その含水層の水圧が、高域に渡って高まるからである。
これが水噴火地震とも呼ばれた、謎の松代群発地震を説明するメカニズムなのだ。つまり、遠い昔に何者かが皆神山に手を加えて、ある種ピラミッド化したことが、遠因となっていたと言えよう。山田氏を始めとする研究家らはこのような結論を引き出したのである。
しかし、皆神山が遠い過去に人間によって作られたことを示す記録は残っていないのだろうか? 実は、皆神山には特異な歴史・伝承が存在するのである。そのミステリーに関しては、筆者が皆神山を登ったレポートとともに、次回明らかとしていくことにしたい。
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