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9.11テロの真相 - ペンタゴン編
学研「ムー」2003年10月号掲載(一部改定)
[9.11テロの概要]
2001年9月11日朝、アメリカでテロリスト・グループが4機の民間旅客機をハイジャックし、2機がニューヨークにある世界貿易センタービル(以下WTC)に、1機はワシントンDCのペンタゴン(国防総省)にそれぞれ突入、もう1機は大統領の静養先に向かう途中のペンシルベニア州に墜落する前代未聞の大惨事が発生した。WTCは2棟とも数時間後に崩壊して避難中の多くの人々が死亡した。死者・行方不明者はWTCで2811人(犯人グループを含む)、ペンタゴンで189人、墜落した旅客機で44人であった。そのうち、日本人は24人が死亡した。
計3,000人以上の死者を出したこの同時多発テロの犯行は、ビンラディン氏率いるアルカイダによる犯行と断定された。しかし、多くの謎をはらんだ事件であり、今なお完全に解明された訳ではない。これから、皆さんに、その解明されない謎についてご紹介していきたい。

まずは、乗っ取られた旅客機4機の飛行経路図を参考に、ペンタゴンに突入したとされるアメリカン航空77便(以下77便)に関して考えてみたい。
77便は、午前9時37分(又は38分)、追尾してきたF-16数機を振り切りペンタゴンに激突しとされている。1941年に建設されたペンタゴンは、コロンビア特別区からポトマック川を隔てて、バージニア州アーリントンにある。名前の通り5角形をしており、5重の同心円状になっている。それぞれが5層の建物は、10の渡り廊下で連結されている。各外辺は282m、高さが24mある。77便が突入したことにより炎上し、その後2回の爆発起って、計189人が死亡したとされている。
ニューヨークのWTCほどの惨事にはならなかったが、首都ワシントンにある国防総省(ペンタゴン)が攻撃を受けた意味は大きい。ホワイトハウス、国会議事堂、ペンタゴン、CIA、FBIなど、国家の中枢となる機関が集中する首都ワシントンDC周辺は、アメリカ国内でも最も警戒が厳重な区域である。ペンタゴンからポトマック川を挟んで対岸には、すぐにアンドリュース空軍基地がある。大統領専用機エアーフォース・ワンの発着基地である。そこでは、緊急事態に備えて、24時間体制で米軍戦闘機が待機しており、連絡から1分で戦闘機をスクランブル発進可能と言われている。
午前9時45分にペンタゴンに激突した77便は、WTCで1機目が突入した午前8時45分から1時間も経っている。それまでの間、ホワイトハウス、ペンタゴン、アンドリュース空軍基地では何があったのだろうか?
事件後に改めて許可を出すまでも無く、実は、FAA(連邦航空局)の公式文書によれば、緊急事態が発生した場合には、ホワイトハウスの許可無しで、民間航空機を撃墜しても構わないことになっていた。
このような緊急事態で迅速な対応が取られなかったことに対して、ペンタゴンのスポークスマンは、その時飛び立てる戦闘機が存在しなかったと答えている。また、別のスポークスマンは77便がこっちに向かってくることにペンタゴンは単に気付かなかったと説明している。
そんな馬鹿なことが考えられるだろうか? ニューヨークの『デイリー・ニュース』紙によると、ニューヨーク警察は、午前9時6分の時点で、テロリストによる攻撃があったことをペンタゴンに連絡している。2機目がWTCに突入した9時3分には、既に全米の視聴者達がテレビを通じてライブ映像を目の当たりにしていたのだ。
これは、不手際で対応が遅れたという問題ではなかった。既に触れたように、民間航空機を撃墜することに対して、ホワイトハウスの許可は必要無いからである。マニュアル通りに軍人が動いていれば、防げる事態であった。そう考えると、戦闘機のスクランブル発進を止める圧力が上層部から加わっていたとしか考えられないのだ。

[ペンタゴンに突っ込んだのは何だったのか?]
まず、午前10時10分に撮影された写真をご覧頂きたい。ペンタゴンには77便が突入したことになっている。使われた機体はボーイング757-200である。B757と言うと、重量が100トン、機体の幅は38メートル、高さ13.6メートル、全長47.3メートルある大きな旅客機だ。ところが、手前に機体の残骸がまったく存在しないのである。
ペンタゴンの2階部以上の外輪が倒壊したのは、1階部分に77便が突っ込んだからとされている。しかし、高さが13.6メートル(建物の4階程度)もある飛行機が1階部分にのみ被害を与えるよう突入することは不可能である。仮に、巨大なB757が、偶然にも1階部分に突入できたとしよう。そうすると、ビルの損壊部分の幅は少なくとも38メートルに及ぶはずだが、現実には写真のように、機体の幅の半分程度の規模だった。また、地上すれすれに飛行して突入したのであれば、なおさら機体の残骸が手前に飛び散っていなければならない。

(事件直後に撮影された写真。まだ1階の柱が崩れていない状態である。)

(後日公開された、数少ない航空機の残骸の一つと思われるもの)

事件当初、AP通信は爆弾によって爆破されたと報道した。確かに、その方が納得がいく。
翌日の9月12日、国防省のビクトリア・クラークによって開かれた記者会見において、アーリントン郡のエド・プラウアー消防局長は、あるジャーナリストから「機体はまったく残っていないのでしょうか?」という質問を受けて、次のように答えている。
「最初に、機体に関しての質問だが、この消火活動中に、いくつか小さな飛行機の破片あったのが建物内部から見えた。しかし、大きなものではなかった。言い換えれば、胴体部分やその類いのものはなかった。」
続いて、消防局長は次のような発言もしている。
「私はその点に関してはコメントを控えた方が良いだろう。実際に墜落してきた飛行機に何が起こったかに関しては、もっと詳しく説明を与えられる目撃者達が居る。だから、我々には分からないし、私にも分からない。」
また、同消防局長は、ジェット燃料がどこにいってしまったか質問されて、正確に回答することができなかった。もし地面にジェット燃料が染み込んで居たとすれば、それは簡単に分析可能なことである。ジェット燃料以外の火薬等が検査で検出されることを恐れたのか定かではないが、写真のように、なぜかまったく荒らされなかった芝生を掘り返し、砂利と砂を敷き詰める作業が行われたのである。

[報道規制か?]
さて、この事故の状況を見ると、考えられることは、爆弾が仕掛けられていたのか、小型の航空機、又はミサイルが突入したのかということになろう。しかし、突入の瞬間を目撃した人物が居たとすれば、爆弾が仕掛けられていた可能性は否定されるかもしれない。
目撃者は存在しており、CNNテレビでは、「民間航空機を見た」と証言する匿名の女性を紹介した。また、陸軍大尉のリンカーン・リブナー氏は、AFPに対し、「大きなアメリカン航空の旅客機が、高速、低空でやってくるのを見た」と語っているという。
ところが、事件直後にAPが報道した他の証言では、飛んでいたのはもっと小さな航空機で、民間航空機とは大きく異なり、翼付きのミサイルに似ていたとすら言及していた。
スティーブ・パターソン氏は、9月11日ワシントン・ポスト紙で次のように証言した。
「航空機は、8〜12人の乗員が乗っていたように思えた。そして、戦闘機の激しい悲鳴のような音がした。」
また、ペンタゴンのネットワーク技術者であるトム・セイバート氏は、やはりワシントン・ポスト紙に「ミサイルのような音を聞いた。その後爆発音がした。」と語っている。
事件直後、USA Todayのジャーナリストであるマイク・ウオルター氏は、ワシントン・ポストとCNNに答えて、「それは、翼つきの巡航ミサイルのようだった」と語った。
さらに、77便が離陸したワシントンのダレス空港の航空管制官であるダニエル・オブライエンは、ペンタゴンに突入した機体は、「軍用機の速度と操作性を持っていた」と説明した。彼女の証言は、ABCニュースのサイトに掲載され、全国航空管制官協会のサイトに使用されている。
ここで興味深いことは、このように様々に異なる証言が存在していることから、誰かが狂言を行った可能性が考えられることだ。特に、戦争報道でペンタゴンとの癒着が指摘されるCNNに対して、民間航空機の目撃を証言した匿名の女性や、「大きなアメリカン航空の旅客機が、高速、低空でやってくるのを見た」と詳細に証言した陸軍大尉を信じて良いものか、意見が分かれるところであろう。
そのようなことを踏まえながら、ペンタゴンの被害状況を振り返れば、突入したものはトマホークのような巡航ミサイルであった可能性が候補に上がる。
例えば、トマホーク・ミサイルは、イージス艦などの水上艦艇や潜水艦から発射可能な長距離巡航ミサイルである。今年のイラク戦争で使用されたことで、読者にも記憶に新しいと思われる。小型軽量のターボファン・エンジンを搭載して地上数十メートルを予め定められた飛行コースで飛行する。飛行コースを維持するためにも、小型の飛行機と同様、左右に主翼を持つばかりか、垂直尾翼に似た操舵翼を持ち合わせている。そのため、民間航空機を大きく異なっていたとか、翼付きの巡航ミサイルと似ていたという目撃者の証言とつじつまが合う。爆弾を搭載したセスナ機であった可能性も捨てきれないが、飛行速度や目撃されやすい点を考えると、巡航ミサイルであった可能性の方が説得力がある。
しかし、情報を撹乱させようとする勢力が存在したのは確かであり、ひょっとすると、当初AP通信が報道したように、ペンタゴンには予め爆弾が仕掛けられており、セスナも巡航ミサイルも激突しなかった可能性すら存在する。

実は、MSNBCでは、ペンタゴンのセキュリティー・カメラが激突の瞬間を捉えたビデオ映像を公開している。ところが、肝心の飛行物体はまったく映っていないのである。機体の大きいB757か、速度の遅いセスナ機が激突したのであれば、映像から見て取れるはずである。機体が写っていたフレームは編集してカットされてしまったのか? 高速で小さい巡航ミサイルだったために映らなかったのだろうか? それとも予め仕掛けられた爆弾が爆発しただけだったのか?  少なくとも、B757が激突したとしては説明できない瞬間映像をペンタゴンは自ら暴露した格好となったのである。

[アメリカン航空77便の行方]
これで、9月11日にペンタゴンで起こった出来事が大体整理されたようだ。しかし、一点疑問は残る。77便は一体どこに行ってしまったのだろうか?
ここで、77便の航路を再度検討してみたい。
米当局による公式の説明によれば、77便は、ワシントンのダレス国際空港から西方オハイオ州上空までおよそ300マイル(480キロ)進んだところでハイジャックされた。そこで、Uターンして再び300マイルほど飛行してワシントン上空まで戻った。ホワイトハウスを目指したと思われた77便は、さらに直前で針路を変更して、結局ペンタゴンに墜落した。しかし、Uターン後の復路は不明であるとされた。
航路が不明になる理由は、トランスポンダーと呼ばれる装置のスイッチをオフにしたことがある。トランスポンダーがオンになっていると、航空機の便名や航路の情報が管制塔に分かってしまうためである。しかし、レーダーには映るので、管制塔では不明の航空機が確認されることになる。
77便は二度進路を変えて、その際、レーダーから消えている。二度目は墜落直前で、ホワイトハウスから3マイルのところでレーダーから消えた。針路変更が行なわれた理由については、ホワイトハウスには迎撃ミサイルがあることをハイジャッカーが直前に思い出したためだと言われている。しかし、入念に計画されたはずのハイジャックである。その可能性は極めて小さいだろう。
ABCテレビの『20/20』という番組では、航空管制官の証言が取り上げられ、管制官の誰もが軍用機だと考えたことが紹介されている。登場した管制官はダニエル・オブライエン氏、トム・ハウエル氏、キャスターはブライアン・ロス氏であった。
オブライエン氏はこのように証言した。
「私たちは(WTCの出来事を知って)すぐに飛行機の動きを確認し始めました。そして、私は未確認の飛行機がダレス空港南西に向かって飛んで来るのを確認したのです。それは物凄いスピードでした。私はレーダースクリーンを叩くことしか出来ませんでした」
また、ハウエル氏は次のように言った。
「何てことだ、飛行機はホワイトハウスに向かっているじゃないか。目標はまさにホワイトハウスを目指している」
目標物は時速500マイルの速度で、ホワイトハウス、首都を捕捉する飛行禁止区域56に驀進していた。この時点では、もちろんアンドリュース空軍基地からのスクランブル発進も無かった。「飛行機のスピード、操縦性、そんなことから、レーダールームの誰もが同じ様に思いついたのは、それが軍用機だということです」とオブライエン氏。「ボーイング757はあのように飛ばしません。非常に危険です」
彼らがずっと軍用機だと思い込んでいたものが77便であったのを知ったのは、ペンタゴン激突後、レーガン・ナショナル空港管制官から電話で知らされた時であったのだ。
77便がホワイトハウスから12マイルのところに近付いたところで、管制官内部でカウントダウンが始まったという。「11マイル、10マイル、9マイル・・・」そしてオブライエン氏は言った。「私たちのスーパーバイザーはたまりかねてホワイトハウスへの電話をかけようとしました。この情報を知らせるためです。とても速い飛行機が、そちらに向かっていて、今、そちらの西方8マイルまで迫っていますと」
その頃ホワイトハウスに居たとされるチェイニー副大統領は、激突の危機から、地下に避難した。1分以内にスクランブル発進可能なアンドリュー空軍基地は依然動かなかった。ブッシュ大統領は、フロリダの学校で子供達に本の朗読をしているところであった。一方、ホワイトハウスの職員達はホワイトハウスからの早急な脱出を要求された。
オブライエン氏は続けた。「カウントが6、5、4になって、私の口から3と言おうとしたその時です。突然飛行物体が消えたのです! 部屋は一瞬安堵感に包まれました。これは迎撃されたに違いない! これは私たちの男達がやってくれたに違いない! 私たちの首都と大統領を守る者達がスクランブルを命じられたのだろうと思いました。そうして、椅子にどんと腰をおろしてしばらく息をついでいた時です」オブライエン氏は息を飲んだ。「ダレス発の全ての飛行機はホールド(待機)になりました。ペンタゴンにぶつかっていたのです」

このような管制官の証言から、いくつかの矛盾が露呈する。77便は航路を変更して、最終的にペンタゴンに墜落するまで管制官によってその動きが一部始終監察されていた雰囲気がある。そのため、一見するとペンタゴンに墜落したのは77便であったかのようにも思える。ところが、飛行速度が時速500マイル(時速800キロ)と高速で、急旋回も含む飛行であった。時速800キロと言えば、ほぼ巡航速度であり、低空飛行でのスピードではない。また、高速度における急旋回はB757には不可能と思われた。そのため、その航空機は軍用機であったと彼らは信じたのだ。
つまり、当初レーダー上で確認していた77便が、ハイジャックされたことに気付いてからは、いつのまにか軍用機の飛行性能に変わっていたことになる。この矛盾はどうしたら説明されるのだろうか?
その答えは、77便が2回レーダーから消えた事実に見出せるかもしれない。墜落直前に消えたのは低空飛行になった可能性が理由として考えられるため、最初のUターン時に、別の航空機か巡航ミサイルに摩り替わっていた可能性がある。あるいは、途中から複数の飛行物体がレーダーに現れることになっていたのかもしれない。
いずれにしても、ペンタゴンに墜落したのは、現場の写真からしても明らかにB757ではなかった。では、一体77便はどこへ行ってしまったのだろうか?
ここに、興味深い情報がある。当日報道されたが、追求されずに消えてしまった別のハイジャック事件である。

ニューヨークで事件が発生してから1時間もたたないうちに、別のアメリカン航空の旅客機がハイジャックされ、ペンタゴンの近くのヘリポートに墜落した。建物にも甚大な被害があり、34人が死亡したと報告されている。(2001年9月12日『Hot Wired』誌)

墜落現場近くの住民で、墜落を目撃したティム・ティマーマン氏は、CNNのインタビューに答えて、77便はペンタゴンではなく、ヘリポートに墜落したことを証言したのだ。しかし、すぐにこの証言はニュースでは紹介されなくなってしまった。
やはり77便はペンタゴンには墜落していなかったのだ。そして、ペンタゴンに激突したのは、別の小型飛行機か巡航ミサイル、いや、何も激突せずに、事前に仕掛けられた爆弾が爆発しただけであったのかもしれない。又は、何かが突入したと同時に、内部に仕掛けられた爆弾も同時に爆発したという可能性も存在するだろう。
いずれにしても、ここで明らかになったのは、77便はペンタゴンに墜落したのではなかったこと、そして、未確認の航空機がペンタゴン近くのヘリポートに墜落したことである。また、米政府はテロ攻撃を防ごうとする努力は行わず、情報操作が行われたことだ。それ以外のことに関しては、今後の調査を待つしかないかもしれない。
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