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失われた北極大陸の謎
学研『ムー』2008年11月号掲載
○かつて地球の7分の6は陸地だった?
地球の内部はどのようになっているのか? 我々の科学の教科書では、まるで確認済みの事実であるかのように、地球は中心に向かうに従い、地殻、マントル、核で構成されており、中心部は鉄やニッケルなどが高圧・高温で存在するものと教えている。しかし、これまで、地球の中心まで穴を掘って確認した人間は誰も存在していない。地球の内部構造はまったく確認されていないこともあり、現在でも地球空洞説を支持する人々は存在し、彼らの多くは次のように推測している。
地球は約800マイル(1マイル=約1.6km)の厚みを持った地殻を持ち、さらに奥深く掘り進むと、内部は空洞になっている。地球の中心部には小さな太陽が存在し、それは半径約3200マイルの広大な空洞部を昼夜問わず照らしている。そして、極付近では地球内部の空間へ出入可能な穴が開いている・・・・・。
地球は空洞になっていて、UFOは地球内部から飛来する説を支持してきた代表的な研究家にセオドア・フィッチ(戦後、数冊の本を記している)が居る。彼は、聖書やエノク書の記述を手掛かりに、地球空洞説を唱え、人類は地球内部のエデンの園から現れ出て、いつかその土地に戻ると信じていた。彼によると、かつての地球は現在とははるかに異なる世界だった。本稿では主にフィッチが注目した点を主に紹介することにしたい。

ノアの時代の洪水が起こる前、地球の7分の6が陸地で、7分の1が水であった(エスドラス第二書6:42 ――― 聖書外典)。凍った水の空が大気の上に存在し、全世界は一様に涼しい気温に恵まれていた(創世記1:7)。熱帯植物、樹木、動物、鳥は、赤道直下と同様に、北極・南極にも溢れていた。
「そして神はおおぞら(空気又は大気)を造って、おおぞらの下の(地上の)水とおおぞらの上の水(又は氷の層)とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた・・・・・神はそのかわいた地を陸と名づけた」(創世記 1:7-8)
聖書によると、洪水の前、全世界は巨大なガラス温室のようで、穀物、果物、すべての野菜が完璧で、人々は1000年近く生きた。
空は常に美しく青いとヨブは語っている。嵐、竜巻、津波、雲もなかった。1650年間、雨も降らなかった。「霧がわきあがって土の全面を潤していた」(創世記 2:6)。

つまり、大洪水前の地球は、7分の1だけが海であった。そして、多くの水分は大気中に含まれており、霧が地球を覆っていた。その霧の水分が地上の大地を潤し、動植物を生かしていた。そして、太陽から一様な光を受けて、地球全体が穏やかで温暖な気候であったという。
ところが、ある時、大気中の水分が落ちてきた。天の氷が解けて落ちてくると、最初の虹が現れた(創世記 9:13)。
そして突然、地球は高熱と厳寒に支配された。赤道直下では暑くなり、北極や南極ではおそらくマイナス50度ぐらいに冷えた。北極と南極の開口部の周囲で、洪水の水は大量に凍り付いた。

今日、地表の75%は水で覆われている。つまり、厚い霧が洪水として地上に落ちてきてことで、当時よりも海水面をおよそ3マイル(約4.8キロメートル)上昇させたことになる。そして、フィッチの描く未来では、「氷の層が元の場所に戻れば、もはや海はなくなる」(ヨハネの黙示録 21:1)。 現在の海水面を3マイル押し下げた新しい地球においては、飲み込まれてしまった古代文明の遺物が、2億平方マイル以上のかわいた地とともに地上に姿を現すのかもしれない(注、現代の視点では、大気がそれだけ膨大な量の水分を保持し得たのか疑問は残り、他の要因も考えられそうだが、かつての環境が取り戻されれば、海水面の後退はあり得るのかもしれない)。

○エデンの園は地球内部にあった?
「エデン」という言葉は魅力的な地域や居住地、つまり楽園を意味する。エデンの園はエデン東部にあった(創世記 2:8)。
フィッチは、エデンの土地(楽園)は地球内部全体であったと主張した。
「アダムとイブは主に従わず、エデンの園から追放された。そして、主はケルビムと炎の剣で彼らを締め出した(創世記 3:24)」
聖なる天使や邪悪な天使が地球内部のエデンから締め出されたことについては何も語られていないが、実際には、サタン(悪魔)とその天使たちは天国から地上(on to the earth)ではなく地中(into the earth)へと追放されている。アダムが創造される前、悪魔の天使たちすべてはなおも地球内部の地獄(地の底)にいたと示す<底知れぬ所の穴(bottomless pit)>が七ヶ所で言及されている(ヨハネの黙示録 9:1-2-11; 11:7; 17:8; 20:1-3)。
地球は球体で絶えず回るため、地球内部を単に「底」とは呼べない。そのため、深さ(直径)6,400マイルの空間は底知れぬ所の穴と呼ばれるとフィッチは考えた。
聖書には堕天使は地底にいることを示す節がいくつかある。
「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた」(ヨハネの黙示録 5:13)
「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれた」(ペテロの第二の手紙 2:4)
「大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました」(ユダの手紙 6)
「天使」という言葉は使者や代理人を意味する。聖書は300ヶ所以上で天使のことを語る。彼らは数千歳に及ぶかもしれない。フィッチは、ケルビムやセラフィムを除いて、すべての天使は人間だったと考えた。なぜなら、彼らは人間のように作られ、話し、歩き、行動し、人間に似ていたからだ。彼らのいくらかは、偉大な知恵、力、権威をもった、強大な天上の存在である。人間と天使との間の唯一の違いは、自分自身を不可視にできるかどうかという能力にある。

○エノクは地球内部の楽園を見た
天使と言えば、「エノク書」を避けて通ることはできない。そこには、おびただしい数の天使に関する記述が見られるからだ。そして、彼らの住まう地中の様子もそこに克明に描かれている。
一般に「エノク書」は『旧約聖書』の偽典(正典・外典に含まれないキリスト教・ユダヤ教の書物の総称)とされるが、その十七章から六十五章を通して、我々は地球内部の美しさと壮大さを読み取れる。
エノクは物凄い深さの渓谷や、とてつもない高さの山脈のことを語る。地上の人々が目にするものよりも、背の高い木々、広大な河、豊かな色彩の花、種類の多い金属、貴重な石をエノクは見た。
「私はそこから地の中へ行き、祝福された場所を目にした。そこでは、花を咲かせた枝を付けた木々があった・・・・・そして、私は言った。『完全に木々で満たされた、この祝福された土地にどんな目的があるのか?』」
彼は言った。「私は(ある)山々の頂(いただき)を越えて・・・・・そして、<高潔の園>(エデンの園の元になる)に着いた。それらの木々の向こうでは、魅力的な芳香で、美しく、見事な巨木がたくさん見えた。
私は見た・・・・・知恵の木(善悪知る木)を。その木は、モミの木ほどの背丈で、葉はイナゴマメのものと似ていた。その果実はブドウの房のようで、とても美しい。その木の香りは遠くまで届いた」
そして、エノクとともにいた天使が言った。「これは知恵の木で、あなた方の父(アダム)と母(イブ)が・・・・・食べ、知恵を学び、開眼すると、自分たちが裸であることを悟り、その園から追放された。
私は地上にあるすべての山々よりも高くそびえ立つ七つの山を見た・・・・・七本の河を見た・・・・・他のすべてよりも大きかった。私は七つの大きな島を見た・・・・・大きな海に」
エノクは地上のいかなる山をも凌ぐ、巨大な山について語っている。山々の頂からほとばしる水が滝や霧の水煙を生み出しているとも彼は言っている。そして、彼は高い山々の頂に見られる草花と木々の美しさを描いている。地上の高い山々は雪で覆われている。
エノクは言った。「私は地球の果てまで行って(北極付近?)、大きな獣たちを見た。それぞれ他とは異なった。鳥たちも外見、美しさ、鳴き声が他とは異なるのが分かった・・・・・そして、私は地球の果てを見て・・・・・天国の入口が開いているのを見た」。おそらく彼は、大きな地球の開口部を内側から目にしたものとフィッチは分析する。
エノクは言った。「北と呼ばれる第四の方角(の内側)は三つの区域に分割されている。その最初の区域は人間が住むための場所である。二番目の区域には、海、深海、森、川が含まれ・・・・・三番目の区域には<高潔の園>が含まれている」

○北の果てに楽園が存在する?
地球内部がエデンの園(天国)であるのか、逆に地獄であるのか、あるいは 時代とともに変化してきたのか、過去の文献でははっきりしない。
イヌイット(エスキモー)が祖先から受け継いできた伝説には、「極北地域にはツニートと呼ばれる心優しい巨人が住んでいたが、自分たちの祖先を見たら、目から血を流して逃げた」というものがある。一方で、エスキモーに自分たちの先祖はどこから来たのかと尋ねれば、彼らは北の方角を指差す。一部のエスキモーたちは、非常に美しい楽園という、魔法の国を口にする。彼らは自分たちの背後には非常に長い歴史があると主張する。
エスキモーの伝説は、光を絶やさない、美しく壮大な土地を伝えている。つまり、夜もなければ、明るい日差しもない薄暗い世界である。彼らは穏やかな気候であると語る。大きな湖は決して凍らず、熱帯動物たちが群れをなして歩き回り、様々な色をした鳥たちが空を覆い、人々は幸福に暮らし、決して死ぬことなく、永遠に若さを維持できる国である。アイルランド人も、常に光が絶えず、夏のような気候の美しい国が北の向こうに存在するという伝説を持っている。
2008年6月3日、米科学誌サイエンス(電子版)は興味深い事実を発表した。コペンハーゲン大などの研究チームがグリーンランドの遺跡から見つかった毛髪のDNAを調べたところ、極北地域に最初に移住した人種は、現代のイヌイット(エスキモー)などとは異なることが判明した。そのため、既に極北で暮らしていた巨人たちを祖先が追い出したというイヌイットの伝説に真実味を付加する結果をもたらしたのだ。

○海水面が低かった時代の北極大陸
大洪水前、大気中に多量の水分が含まれ、地表面の7分の1しか水が存在しなかったとすれば、北極地域は陸地であった可能性がある。聖書やエノク書、北米エスキモーだけでなく、北欧における伝説からも、極北の地に楽園が存在するという話はいくつも存在した。その世界観は16世紀においても、なお健在だった。

(図1)
ゲラルドゥス・メルカトル(1512-1594)は、「メルカトル図法」で有名なフラマン人地理学者である。1569年、彼は30年以上に及ぶ調査の集大成として、世界地図を完成させたが、奇妙なことに、北極大陸が描かれていた(図@)。それは、彼の息子のルモルドが1587年に描いた世界地図でもはっきりと表れている(図A)。
北極大陸は、四つの海峡で仕切られたドーナツ型をしている。図@において、周囲の大陸に目を向けると、左側が北アメリカ大陸で、右側下部がヨーロッパである。北極を中心に正距方位図法で描かれた現代の地図と比較して、大きな違いは、やはり中心に存在する北極大陸だ。
航空機や人工衛星の存在しなかった当時、地図作成には探検と地道な測量という大変な努力が要求された。メルカトルは1538年に世界地図を描き始めたが、コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年から、まだまもない時期と言える。そのため、もちろん、世界各地を探検し、正確に測量した人々は当時は存在しなかった。南極大陸の発見ですら1818年のことであり、北極地方は探検する人々は極めて少なかったのが現実である。
では、メルカトルは個人の想像だけで北極大陸描いたのか? その答えはNOである。しかし、現実に探検した事実に基づいて描いたとも言えない。より正確に言えば、既に触れたように、過去から語り継がれてきたことや、当時の人々に受け入れられてきた共通の認識を元に北極地方を描いたというのが妥当と言えるだろう。
聖書の創世記において、「一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分かれて四つの川となった」という記述がある。一般的には、その四つの川は、チグリス河、ユーフラテス河に加えて、インダス河、ナイル河(又は今では干上がってしまった川)であったとされる。
しかし、フィッチよりもはるか昔から、エデンの園は、地球内部に存在する温暖な楽園であると考えた人々もおり、その四つの川は、メルカトルが描いた北極大陸を四分割する川に相当すると想像した人々も居たと言えるだろう。そして、北極から地球内部へ通じる穴(極の開口部)に向かうにつれて、海抜が下がっていくことや、エノクが描写したように、高い山々が存在する内部の様子を暗示させるべく、北極大陸沿岸部が高い山脈で覆われたようにメルカトルは描いたのではなかろうか?

(図2)

○北の果てに幻の都市が存在する?
過去の文献における地球内部の様子は、筆者が翻訳したダイアン・ロビンス著『超シャンバラ』及び『空洞地球』(いずれも徳間書店刊)での内容だけでなく、地底内部を垣間見た探検家等の報告と酷似している。両極に存在するとされた開口部は、アメリカ軍による探索以降、近年では完全に閉鎖され、もはや確認できないという説も存在する。そのため、現在においてはまったく想像の域を出ないテーマと思われるが、一つだけ北の果てに存在した都市に関して触れておきたい。
イギリスの研究家ピパ・ブレイブルックは、イギリスのサセックス郡ブライトンのクレセントで暮らすW・サウスと交流を持っていた。彼女はサウスが戦時中に体験した話を次のように書いている。
「コーンウォールで暮らしていた時、私はムーア(芝で覆われたゴツゴツとした丘)の中心にある牧羊業者(W.サウス)の家を訪れた。紅茶を飲みながら、彼はドイツ海軍の俸給支払證票を見せて、戦前、彼自身がアラスカやカナダ北部の氷雪地帯の探検家であったことを私に明かした。ハドソン湾郡の(毛皮を取る)わな猟師たちと話をした時、彼はある地域の珍しい地図を見せられ、秘密の世界のことを聞いた。1939年、その情報を持ってカナダを後にして、彼はドイツに戻ると、新しい調査船である、1200トン級の長距離潜水艦で極秘任務を与えられた。
コーンウォールにいた間、私はしばしば彼を訪れ、近年では、その"氷の都市"(南極のレインボー・シティーと比較される)を見つける調査のために、彼に手紙を書いてきた。彼はそれに関して敢えて手紙では書きたくはなく、直接会わねば話せないことをほのめかした、極めて慎重な手紙を私に送ってきた」
この情報は、1980年代初頭にMr. UFOの愛称で有名なアメリカ人研究家のティモシー・グリーン・ベックリー氏が得た情報であるが、残念ながら、ブレイブルックはさらなる情報を引き出せなかった。だが、何年も諜報部員を務め、UFOに関連した暴露本などを数多く記しているX(ペンネーム)が、次のような興味深い主張を行っていたことに彼女は注目していた。
「北の<氷の都市(アイス・シティー)>の地区には、一つのポータル又はドアが存在し、それはカナダ北部かアラスカの山岳地帯の凍り付いた滝の下にある。そこには電子器械の備わった巨大な洞窟があり、超頭脳機械であるコンピューターによって作動する、ロボット機械で制御された巨大な貯蔵庫もある。そこにはまた、太陽光として利用される、太陽エネルギーを供給する球体がある。また、暖かい水源からなる巨大な湖で溢れている」

遠い昔、地球の気候は現在とは大きく異なり、海水面がはるかに低かったのが事実だとしたら、地球の両極の果てに「何か」が存在したことを見出すのは難しくなかった可能性があるかもしれないが、今となっては極めて困難だ。さらに、アメリカ、カナダ、ロシアのような国家や敗戦までのドイツが地下都市の存在を軍事機密として隠蔽するか、又は、地下都市の住人たちが高度なテクノロジーを駆使して、地上の人間たちによる踏査を許さないとすれば、現在の我々にそれを見つけ出すことはほぼ不可能と言える。しかし、地球の地下800マイルを実際に掘って確認できるテクノロジーを持たない我々には、秘密の地下都市が存在しないこともまた、証明できてはいないのだ。
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